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『信仰』村田沙耶香

また村田沙耶香さん。 本を読んだら他に誰か読んで感想言ってる人いたりしないかなとフォロイーフィルタリングかけてツイート検索することがたまにあるんだけど、つい数日前に読んでる人いてびっくりした。 僕が丸の内魔法少女ミラクリーナの話したせい?

表題作の『信仰』は主人公永岡が昔のクラスメイト石毛にカルトに誘われるところから始まる。 カルト信者に布教されるという意味ではなく、教団を設立しようと誘われるの意味である。 ずっと接点もなかった石毛に会おうと言われた時点でマルチなりカルトなりに誘われるのだろうと思っていたので、教団を設立しようという誘いは斜め上からの話だとは思いつつ断ってすぐ帰ろうとするが、石毛が連れてきたもう一人が同じく元クラスメイトで真面目な印象の斉川さんだった。

その後永岡が鼻の穴ホワイトニングに行くとかいう描写が出てきて、「カルトに引っかけようって人自身たちがカルト的なものにハマってる」っていう図式だったらさすがに安直すぎるのでは?と思ったが、さすがに村田沙耶香氏そんなことはなかった。 永岡は現実主義だがそれに疑問を覚えるところがあり、そういったカルト的なもの?を信仰しようとしてる状態で、それが斉川さんと奇跡の噛み合わせを生んで思わぬ方向に進んでいく……。 短い短編だが「信仰」についていろんな態度の人が出てきてうまく対比されている作品だった。

他は10-20ページくらいの、小説作品にはなりきらなかったアイデアとエッセイといった感じだろうか。「気持ちよさという罪」に出てくる、自分にとって気持ちのいい「多様性」でなく、自分にとって都合の悪い、気持ちの悪い「多様性」の存在を認めて、その上で自分はそれを受け入れることができるか、という観点は重要だと思った。 自分が「多様性」を認めようと言うときに、自分にとって都合の良い多様性だけを「多様性」と言っていないかは常に自省していないといけない。

あと「書かなかった小説」。主人公が自分自身のクローンを買い、いつのまにか立場が逆転して、という話は小説の世界ではありそうな設定ではあるが、村田沙耶香がそれを小説作品として書いてたらどんな作品になってただろうかと思ってしまうものだった。

最近は恩田陸とか綿矢りさとか村田沙耶香とか、何作品も読んでる好きな作家の別作品ばかり読んでて、新開拓できてなくて良くないなあと感じてたところだったが、また村田沙耶香の読んでない他の長編を読みたくなってきてしまった。

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