辻村深月で好きな作品として読書好きなフォロイーさんが挙げてた。みんな大好き息苦しくなる系(?) さすが彼が推すだけあってよかった、持つべきものは読書好きなフォロイー。
東京から2時間ほどの県のとある高校のとあるクラスの卒業生たちは、卒業から数年経った今でも毎年クラス会を行なっているが、今やテレビドラマで輝く人気女優となったキョウコはクラス会になかなか参加しない。 キョウコになんとかクラス会に参加してもらおうと、元同級生たちは一人ずつキョウコとの接触を図るが、キョウコに接触した人たちは一人ずつ連絡が取れなくなっていく。接触を図る一人一人が語り手となる各章で、回想を踏まえながら高校時代にクラスであった過去が明かされていくが……。
とまた一応これもジャンルとしてはミステリなのでミステリっぽくあらすじを書いてみたが、これも前回の『傲慢と善良』と同様で(?)、この作品の良さはミステリというより語り手の回想で明らかにされる高校のクラス内の過去・人間関係と人間の内面描写のリアリティである。 本編は5章で5人の語り手一人一人の話であり、それらはどれも一つの高校のクラス内の話であり、どれも響子に関係するものなのだが、一人一人の内面を描く話としてはかなり性格を異にしており、舞台を同一とした短編集ともとれる(もちろん一つ一つの話は密接に関係しているが)。語り手への共感度は勿論自分自身と共振するかどうかで濃淡が出るものの、どの話も人間の内面の綺麗でない面を精緻に描き上げていて苦しくなる。
自分がこの5章の中でも一番心が揺さぶられたのは、2番目の里見紗江子の話だった。周りから女扱いされず、自身も女性らしさを求めず地味でいる里見だが、幼少期から自分に優しくしてくれた親友の貴恵に対し屈折した想い、そこから貴恵の高校時代の元彼である真崎を求める……。周りの女友達に対してかわいいと褒めてばかりで自分は地味なままでいいという一方で、女性らしく綺麗に生きる貴恵に対して複雑な感情を持つ里見の姿と語りの中で描き出される内面描写には、(男性として生まれ生きてる自分がわかると言うのもおかしい気もするし、真の意味ではわかってはいないのかもしれないが)自分を見ているようで苦しい思いがした。
この5つの章はそれぞれ描き出す内面は大きく異なるがそのどれもが素晴らしい出来で、誰が読んでもどれか1章は刺さるところがあるのではないだろうか。そしてさらには(この作品の良さはミステリではないと言っておきながらなんだけどちゃんと)ミステリらしい仕掛けも含まれており、それについても書きたいところはあるのだが、それについてここで書いてしまうのはさすがに無粋がすぎると思うので感想はこれくらいでおいておく。